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25階で下りてみると、見晴らしのきいた街並みが飛び込んできた。
暫く見ていたかったが、約束の時間が回っていて、正面へと向かった。
ジャカルタ出張中に、BEXの洗浄剤の件で、何度か連絡を頂いた様だった。
携帯電話や薄型テレビなどで使われる電子部品・電気材料の商社。
会話のキャッチボールはBEXから離れて、ソーラーのメンテのこと、協会のこと、フィルターのこと、パイプのこと。
「細いパイプ使えないかな。」何をイメージされているのか、とてもリアルだった。
イメージをどこまで共有出来たかは分からないけど、形にして触ってみて組み込んでみたいと、無性に思った。
展開、提案、立案、こんな方向性に溢れていた。
1階に戻ってきたら、淡い陽の光に注がれた美しいエントランスが待っていた。
田町の駅へ向かって、さあ、歩こう。
朝日ではなく、“朝火”の如くでした。
工業団地・MM2100にて、日系企業3社訪問。各社2割増産の動きです。
一度に動く材料のボリューム、流通量からすると、建築関係(土木・住宅)がデカイとのことでした。2輪・4輪の比ではない様です。
インドネシアの三種の神器は、TV、扇風機、ガロン(給水器)。TVは今年に入ってから急速に液晶へ切り替わっている様です。確かに、ブラウン管のモニターも何度か見かけました。
知名度の最も高い企業は、SHARPとLG。空港内所々でLGの看板(サイン)が輝いておりました。
在インドネシア日本人 12,000人、韓国人 50,000人。
昼食は工業団地内の飛鳥で頂きました。
日本人スタッフで一杯でした。きっと、憩いの場所なんだと思います。
麺が恋しくなって味噌ラーメンを。なかなかでした。
インドネシアの方は、親日的。勤勉。手先が器用である。根気がある。争い事は好まない。えげつくない。
共通した話でした。
スカルノハッタ空港。ここから帰ります。中へ入ってしまうと寛げるスペースが少なくて、結局、ラウンジへ入って、ビンタンビールを飲みながら時間を潰しておりました。アルコールは表にはありません。スタッフへリクエストしないと出てきません。
ANA 938便にて戻ります。
朝6時、CROWNE PLAZA より。
既に、結構な往来です。
ジャカルタから南東へ約1時間走りました。徐々に景色が変わります。
たむろってるのは、男ばかりです。
昼飯は100円でした。
ハエが結構飛んでまして、きわどいランチでした。
手洗い用の器が一緒に出てきました。
日系企業訪問。このバイクの数です。これは一角。通勤用のバイクです。
全従業員2,400人の内、7割が女性。男を見掛けたのは、切削ラインと開発部隊のみ。
「仕事は遊びじゃない。」女性の真剣な顔。その通りでした。
今日もスコールが。1時間程で上がりました。現在、雨季です。
インドネシア、来年の数字(見込)です。
2輪車生産⇒900万台
4輪車生産⇒80万台
TV生産⇒600万台
現在、人口2億5千万人(世界第4位)。
気温32℃。暑苦しさは全くありません。夏服の上着を着たままです。
時差は丁度2時間、到着15時で日本が17時。メールやら電話やらで、交錯です。
着陸してからの拘束時間が結構ありました。滞在費25$の支払い、イミグレ、通関。
初めは長蛇の列でしたが、暫くしてブースが増えました。
携帯の着信は稼働するも、発信がダメ、今もって手入力です。自ら発信が出来ないのは、本当に不便です。
なんと言っても、空港からホテルまでが大渋滞でした。これでも短時間とのことでした。
車の隙間を縫うように、バイクが割り込んできます。
2キロの距離を40分以上要しております。時間帯では、17時半以降です。
タクシーも拾えません。
同じ頃、暗くなってから、激しいスコールに見舞われました。
雷の雨あられでした。約1時間程で上がりました。
バイクはホンダ車を多く目にしました。
世界第4位の人口を要するインドネシア、ここジャカルタの密集度は半端ではありません。
季節感の無くなった荒野だ。音も無い。地面が剥き出しとなって、大地が怒っていた。
自然の中には、これ程の猛威があるのか。想像を絶した。
漁に出て、自然と交歓し、四季折々の表情や姿と共に生活が出来る、そんな日常を一日も早く取り戻して欲しい。
奥松島、釜石、女川の沿岸部を見て。
“先生”と店主が言うので、はじめは耳を持っていかれた。佐藤君が社労士の先生になっていたんだ。センセイの行きつけの店で一献となった。
調べてみたら、09年10月17日、ここ塩竃で一夜を過ごした。それ以来のことだ。
そんなに時間が経たない内に、掲げられた暖簾に汚れの痕が付いているのを、目にしていた。
「カウンターの上まで、濁流が入ってきましてね。油まみれで洗っても落ちないんです。」店主の張りつめた眼差しをじっと見ていた。
普段、日本酒は飲まない口だが、この「浦霞禅」はとにかく旨かった。この近くに酒蔵があると聞いた。日本酒の極味は、ワインの風味と重なることが多い。
明日、東京の市場に出る塩竃の魚を一寸早く頂いた。
佐藤君と分かれる時、霞んだ街路灯の様に、しらはたの店明かりだけが目に付いた。
崩れかけた建屋の前を、平林先輩と歩きながら、もう1軒入りたい気分でいた。
初めて、パイプ内面の絶縁化の仕事を頂いた。
半年振りに山形県内を走る。もう、枯れ始めていた。
今回は仙台から入って2時間ちょっと、平林社長と話しをしながら。
絶縁処理としてコーティングは分かっていたけれど、テフロンコーティングだった。
プチプチから出されたパイプは、厚み(1.0t)の割に重かった。
パイプの穴を覗き込んでみて、大腸のひだを連想したのも、初めてだった。
下関のお客様へ、カートリッジ1本、本日出荷しました。
先月より、ステンレス浄水器(オルガノ製)を販売しております。
既に、浄水器は購入されていて、フィルターのみ交換したい。
フィルターのみの販売も承っております!
見積もりのご依頼など、なんなりとお申し付け下さい。
研究本館1号館の入口を入ったところで、女性スタッフが応対して下さった。背のすらっとして気品に溢れた方だった。
「エレベーターで3Fへお上がり下さい。」民間企業には無い雰囲気に包まれて、僕等は恐縮しながら、上がって行った。
デバイス洗浄剤のテストサンプルとして、GC6200SEの評価をご依頼していた。
「関係者の多くがBEXさんを知らなかったけど、思った以上に結果については良かったです。」
嬉しい言葉だった。
印刷技術を駆使した樹脂フィルム形状のフレキシブルデバイスの開発が進んでいた。
既存洗浄ラインの適用ではなく、既存をここから作る。まだ社会に出ていない技術のかたまりだ。宿題を得て、今日は帰ることにした。
研究棟を後にして、筑波駅で落として貰った。
少し一服したくなった。
コーヒーを手にして、改札の往来に走る人間群とすれ違いながら、筑波の技術開発に懸ける人間の温度を感じていた。
思い立って、新城へ向かった。
たまにはこだま(各駅停車)で移動するのもゆったり出来る。速度を代償に、体の疲労は大きいものだと思う。
新城駅階上の景色を見て、慌ててもう一度戻って、眺め直した。
本題ではなかったのだけれど、板厚0.4のパイプの端(管端)の処理について、一つの方策を得た。
切断後に応力解放が起こって、パイプのセンターと比べると、管端は真円度が崩れてしまう。これを問題とするユーザーがある。
真円矯正機がこれだ。
新城から名古屋へは寄らず、真っ直ぐ東京へ戻った。
時間潰しに、豊橋駅前の店に入った。
「二度漬けはしないで下さいね。」
この間、新大阪駅地下の店でも、同じことを言われたなぁ。
ものの10分もしない内に、店内は常連で一杯となった。
「出張ですか?、43分でお帰りですか。」ズバリだった。自分と同じ様な客が多いんだな、きっと。
隣の客がカウンター越しに一杯しゃべっている。そうだ、さっき新城で聞いたイントネーションだった。
仲間が上機嫌に、「三河なまりが強くて分からんよ!」と。
三河弁、43分のひかりを諦めて、暫くカウンターの隅で言葉のあやを楽しんでいた。
韓国輸出に次ぐ第二弾、カリフォルニアへパイプを送ります。
昼から最終の検品。
極薄肉パイプ、板厚0.15と0.2の二サイズです。
5年振りにFedEXへ持ち込みました。
どこか心の中で、このチャンスを求めていたので、感無量です。
FedEXのカウンターへ立つと、ロスの空港景色やら、においを思い出して、
「また行こう、あの広大な大地へ。」そう、心にしました。
かれこれ10年前、営業らしき仕事へ就いて初めて通った街が田町だった。
表通りを歩いたり、裏通りを歩いてみたり、今から振り返ってみても気の良い場所だった。
どちらへ折れようと、必ず通過するのがこの石碑の前、田町薩摩邸(勝・西郷の会見地)である。
スマートグリッド展が終わった7月頃から、そんな田町の街をまた歩く様になった。
蓄電の話がスタートだった。先月は、パイプも納めさせて頂いた。
今日の話ではないけれど、出来上がったものを遂行するだけでは弱い。
今までに無いものを形にしようと動く。そして、責任を持つ。
当時、田町を歩いていた頃は仕事をしている様でいて、流れと焦りが先行していた。
少し歳も取ってきて、人付き合いも変わった。じっくりと田町を歩き直したい。
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