昔から聞いていたパイプの先生
今年一番の寒さだった様だ。
瀬谷駅の改札を出た脇で、黒ネクタイを締めて、傘をささずに歩き始めた。通夜って言うのはどういう訳か、雨模様の時が多い様に思う。
1月の末、どんな経緯だったかは忘れてしまった。会長が昔からそう話されていた「増子さんはオレのパイプの先生だ。」その増子さんにお会いすることが出来た。ずっとどこかで、増子さんてどんな方なのだろうと、思っていた。
その時が、最初で最後になってしまった。
訃報を見て、その年齢を初めて知った。
「この仕事は、数年後に量産になる話しなので..」76歳にして、バリバリの鉄鋼の男だった。
葬儀場の3Fを降りた所に面影があったが、とても品のある、若かりし頃であろう遺影だった。昔を知らないので驚いたが、なんだかまた普段の会長の言動を思い出していた。
駅へ向かいながら、「八鋼」と言う社名が頭に残った。増子さんはどんな思いを託されていたのか、いろんな事を巡り回っていた。
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