小雨模様の四谷の街は、GWの中日とあってか、のんびりとした雰囲気に映っていた。
杉大門通りに入ると、灯りと共に店内の様子が垣間見られて、今更ながら“灯り”に安堵しながら、PANDA BARへと歩いて行った。
収まった写真を後から覗いてみると、三枚ある。
多分、最後の最後に頂いたあてです。
平林社長(名管商会殿)がパンダと一緒に日本酒を...グラスへ注がれる日本酒も洒脱なものでした。もうこの時はお腹いっぱいです。
オーナーの杉本さんに撮って頂いた流し台。厨房用として拡販していく糸口を作って貰いました。
この省スペースタイプが一番の売れ筋です。
芳醇な赤ワインとチーズで、ちょっと贅沢な時間を...。
自宅からメールを送ろうと思った瞬間、パソコンがクローズ...バッテリが無くなった。
トラブルだ!どうしても送りたい。自転車で会社へ向かった。
この土・日は予定していたパイプを納めることが出来ず、気を揉んだ。
とんかつでも食べて帰ろうと、亀戸餃子の路地を入った。
結局、昼飯は餃子へ変更となった。
餃子が蒸し上がる音と人間の会話とがディスターブする店内。
今日は飲まないと決めていた。一人二人客が座るも、皆飲む。
これはヤバイ、早く切り上げよう。3皿黙って食べて、後にした。
僕の記憶に間違いが無ければ、この店は中学時代から僕の人生に登場している。
事務所を出て、ほっと深呼吸。歩き始める、不思議といろんな想いが駆け巡る..。
今夜も酒を...「希望」の門を叩く。
常連の諸さん親子が熱く語り合っている。ほんと、羨ましい。
父上は、パイプの塑性加工を知っている方だ。
この「希望」で、何度か一献させて頂いた。
今夜、初めて知った。背中を見ていた息子も知っていた。
「パイプを引き落とす、膨らます」...いや~驚いた。
僕も親父の背中に押されて、ずっと青春時代を生きていた気がする。
まざまざとその生きざま、背中を見せつける親父であった。
煙突屋...ずっと風呂屋の煙突が営業種目と思っていた。
30歳を機に同じ世界に入ってみて、初めてガス給湯器の排気筒を製造販売している親父だと分かった。
それから先のことは、今日は語らない。
〆はいつもの希望オリジナル・ポテトフライ。これが旨い!
楽しい一夜をありがとう。
おやすみなさい。
まだ旧事務所にいた頃、店の看板が掲げられ、オープンする様子を、5Fの窓から眺めておりました。
店の名は“希望”。ストレートな名前だと思いました。
昔、三鷹の北野に住んでいたのは28歳の頃。吉祥寺の駅前に、レバや子袋を生で串に刺して出してくれる店がありました。夕方5時には一杯になる店でした。僕はたまらなく好きでした。あれから10年、その味を再現してくれる店は無く、ずっと心のどこかで再会を期しておりました。
希望に入って初めて口にしたもの。
10年前にタイムスリップした瞬間でした。タレでも塩でも、レバ・ハツ・子袋・タンなどを生で出してくれます。
カウンターの隅で呑む酒は決して寂しい酒ではなく、人の顔が浮かび、姿が浮かび、昼間伝えることが出来なかった感情の起伏を被せては静かに笑い、また次に移っていく。
希望が今日、開店2周年を迎えた。テクノス・ジャパンも今月7日で丸4年、5期目がスタートした。この2年間、この希望で、幾多の人間と酒を呑み、温度の高い人間とその感激を心にしてきたのか。
それらの時間は、荒さんの心意気・酒席の心得があってこそ生まれた場であった。
荒さんは言う。高いお金を出せばどんな旨い料理でも食べることが出来る。でも、それじゃ意味がない。もてなす側の心意気です、と。
常連客の言葉。「煙に巻かれ、煙に学ぶ。」なんとも風情があるものだ。
利害や仕事から離れ、一期一会に“希望”を胸に集い合った語らいの中から、僕はこの2年間、どれだけの情熱と収穫を得たのか。
希望の2周年は、特別な一杯となりました。
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